たけちゃんの思ったことを書くでshow

暇な大学生が書いております。趣味は英語の勉強、ゲーム、サッカー(プレイも観戦も) トッテナム ホットスパー を応援しています。

【考察】 いかにして、アジアにて別格であるサッカー選手、孫興民 が生まれたか

どうもこんにちわ。たけちゃんです(^◇^)

本日は、わたくしトッテナムを応援している身として、いかにして

アジアトップ、、いや、別次元の活躍を見せている、孫興民選手

が作りあげられてきたか..........

こちらについて考察していきたいかなと思います。

それではざっくりとした経歴について触れていきます。

年数や詳しい経歴等は、こちら有名選手ですので、

ネット上にかなり出回っているかと思います。

ざっくりとした経歴

FCソウルU15→ハンブルガーSVU17→U19→U2
→ハンブルガーSV→レヴァークーゼントッテナム
 
となります。
 
こちら、韓国のソウルの下部組織よりドイツのハンブルグに渡ったのは
韓国サッカー協会が過去に行っていた国内の優秀選手数名を海外にサッカー留学
させ、国内のサッカー発展を目指すというプログラムの一環だそうです。
費用等は協会がもつそう。
これだけ見てもサッカーエリートですね(笑) ですが、彼がここまでビッグな

選手になったのはこれ以前の彼の積み重ねてきたことが重要だと筆者は考えます。

 

幼少期(小学生~中学二年生頃まで)

 
このころに、彼の 基盤 ができたと思われます。
彼はなんと、韓国代表にも招集歴のあるようなサッカーエリートの
父に才能を見初められてから、中学二年生頃まで、なんとサッカーチーム
に所属はしておりません。(笑)なんとそこで父親から個人レッスンを受けていたそうです。((笑))某スポ根漫画なのでしょうかねwwww
 
そのように見えますが、中身は決して違います。超合理的な練習をそこで積み重ねてきたようです。
その中で、彼が世界に誇る長所を身に着けています。
それは、左右両足をまったく同じように使い、なおかつ両足から尋常じゃない
シュートを放つ......
彼はオフザボールの動きや走力、ドリブルテクニックなどその他の長所がありますが
おそらくそれは欧州で揉まれ身に着けたものであり、それ だけ ではここまで
の選手にはならなかったことでしょう。
 
彼は父親とともにボールを使った基礎練習を徹底的に行っていたようです。
ちなみに彼はドイツに渡った後でも父親とトレーニングをしていたそうで
そちらの一部内容や、子供時代の様子を回想するインタビューが、youtube上に、
英字幕付きで乗っております。

 

youtu.be

簡単に孫のインタビューを紹介すると、子供時代は、最もボール扱いに
重点を置いており、いつも4時間ほど続けてリフティングをしていたこともあるとのこと((笑))
ある意味スポ根ですかね((笑))
ボールが3つや4つに分裂して見えることもあったそうです。

体の全パーツで父が満足するまでひたすらリフティングしていたそうです。

 

ゴールデンエイジ

なんと人間は悲しいことに、いつ練習しても同じように上達するわけではないそうです涙涙
 
ゴールデンエイジといって、習得困難な技術等をいとも簡単に習得してしまう時期があります。大体が10歳から12歳ごろといわれています。
まあこのころは普通の子でしたら、少年チームに所属し、チーム活動以外は友達とサッカーしたりカードゲームしたりといった感じなのでしょうかね。
しかし彼はボールが分裂して見えるほどリフティングしていたとのこと。
おそらくこの時点でボールの扱いは、プロ予備軍の子供たちと比べても勝っていた
のかと思います。この時点で体の全パーツでのボールコントロールを父とともに

練習していた彼は、ボールをうまくミートする技術に非常に長けていたことでしょう。

 

考察の結果

 
彼の異次元の活躍の要因は、いま彼が持つ走力や身長、欧州のエリート教育により身に着けたオフザボールの動きが一番大きなものではなく、ゴールデンエイジより身に着けた基礎技術に裏打ちされる技術、そして 決定力 両足の技術 なのではないかと思います。
最後にもう一度彼が高精度の両足シュート技術で違いを生み出してきたことが分かるように動画を張ってありますのでご確認いただければと思います。
彼のプレミア参戦後の50ゴールです。
 
 
それでは さようならーーー('ω')ノ